ブレイク前夜 in Yokohama新作の説明
- Keisuke Tsuchida
- 6月21日
- 読了時間: 2分
更新日:7月9日
(注)作品の説明は見る人の想像を限定してまう可能性もあるので、自由な目で見たいという方は読まないか、もしくは作品を見てから後できになったら読んでください。
今を生きる私たち、そしてこれから生まれてくる子どもたちの未来が、金と権力の構造の中で食い荒らされていく。
そんな現実の中で、権力に溺れ、膨れ上がった欲望に足元を見失った政治家たちは、わたしには賢しげな言葉を吐くだけの空虚な欲望の怪物のように映ります。
長く続く閉塞感と、どこかに漂う諦めの空気。
そんな時代だからこそ、私はそれに対抗するような「輝き(誇り・清貧・無垢)」を描きたいと思いました。
それは、怒りにまかせた叫びでも、シニカルに「どうせダメだ」と諦めてしまう態度でもありません。
どれほど外の世界が濁っていようとも、自らの内にある「輝き」を求め見つめ続ける静かで頑なな戦い。
今回展示する2点の新作には、そうした思いで制作に当たりました。
「ファイティング・ガール」
信じていたものが偽物だったと気づいた時、人は膝を折り「もう嫌だ」と呟くかもしれません。
それでもなお、自らの中に芽生えた輝き「こうありたい」という願いだけは本物だったと再び「輝き」を勝ち得るために立ち上がる。
この作品は、絶望の中で希望を見つける、偽善や欺瞞に立ち向かう少女の姿を、わたしの他作品に比べ粗く力強い鉛筆の線で表現しています。環境や外的な要因に惑わされることなく、自身の内にある「本当の輝き」を掴もうとする、弱くて強い“戦う少女”。
その姿は、きっと私たち自身のどこかに宿る姿でもあり、「勇気」というものの形でもあります。
「ルクス・メモリア ― 光の記憶 ―」
異形の獣に跨る壮年の兵士と、その背に守られる無垢な幼女。陽光を宿した獣の頭部、夜空を模した翼——この作品は、幾千の夜を越えて紡がれる「輝き」の物語を、ひとつの絵の中に閉じ込めるように制作しました。
「ファイティング・ガール」が“現在”を生きる者の“戦い”を描いた作品だとするならば、「ルクス・メモリア」は“過去”の記憶、沈んだ空気を吹き払うような“軽やかさ”を重視した作品です。
ヴィクトール・E・フランクルの「夜の霧」のように希望の見えない闇の中でも、かすかに瞬く光を見失わずにいたい。 明けない夜は無い、生まれたときから存在していたベルリンの壁も崩れるんだ、そんな願いを込めた二つの物語を、どうか会場でご覧ください。
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